タージ・マハルWikipedia

インド北部アーグラにある、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、死去した愛妃ムムターズ・マハル(1630年)のため建設した総大理石の墓廟
1632年着工、1653年竣工
建材はインド中から1,000頭以上もの象で運ばれてきたといわれ、大理石はラージャスターン地方産という
碧玉はパンジャーブ地方から、翡翠は遠く中国から、トルコ石はチベットから、ラピスラズリはアフガニスタンから、サファイアはスリランカから、カーネリアン(紅玉髄)はアラビアから取り寄せられたものだという
ペルシャやアラブ、果てはヨーロッパから2万人もの職人を集め、22年の歳月をかけて建造された「世界一ゴージャスな建物」とも云われる

世界遺産 タージ・マハル
英名 Taj Mahal
国名 インド
分類 文化遺産
登録年 1983年
座標 27.174167, 78.042222
竣工してまもなく、シャー・ジャハーンはヤムナー川の対岸に対となる自分自身の黒大理石の廟の建設に着手した。
建設計画では川をはさんで同形の白と黒の廟が向かい合い、大理石の橋で結ばれる予定だった。
しかし工事のための重税や動員された民衆の不満が高まり、ついに反乱が起きる惧れさえ出てきたため、シャー・ジャハーンは息子のアウラングゼーブ帝によってアーグラ城に幽閉された。
晩年の彼はタージ・マハルを眺めては涙を流して毎日を過ごしたと伝えられている。
対岸には現在も整地された基底部が残っており、タージ・マハルの裏から渡船で行く事ができる。
その頃には隆盛を極めたムガル帝国の国庫も、度重なる建設事業により底をついていたという説があるが、後継者アウラングゼーブ帝が40年にわたって大規模な軍事侵攻を行い続け得たことからして、シャー・ジャーハン治世においてはムガル帝国の財政はそれほど窮乏してはいなかった、とみるのが妥当という説得力ある説も提示されている。
実際に、アウラングゼーブはシャー・ジャハーンをタージ・マハルに葬ることを認め、その棺をムムターズ・マハルの棺の隣に設置した。


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